緘黙の言霊

緘黙の言霊

メカ音痴でコミュ症や社交不安や緘黙症が疑われている筆者が世の中へアウトプットするためのブログ

負け犬だった過去を振り返り、そして今更ながら上昇気流に乗っていく自分を応援の程よろしくお願いします。

今日のブログはいつか、まとめようと思う僕のヒストリーの足掛かりにしようと過去を振り返ってみました。

 

過去を振り返っても、思えば昔から常に圧倒されてる気分で生きて来たように思います。

今思えば、小学校低学年の小さい頃は兄に付いていったりしてればなんとかなったけど、兄が中学に行ったら自分一人では自主的に動けない状態だったというのも、小学校高学年から不適合を起こした一因の一つになっている可能性を感じる。

 

小学校低学年まではいつも一緒に過ごす人が一人いたけど、一回席替えの時に「もう飽きた」みたいに言われてから傷ついて人間関係の複雑さを感じ始めた気がする

 

決まり切った毎日同じ人と過ごすというような事は出来たけど、自分から友達を作るとかそういうのは小学校低学年の時にも出来てはいなかった可能性がある。

 

その後、小学校高学年でコンビニで立ち読みしてて一緒に居た人に挨拶しないで帰ったら「挨拶しなかった」と言われた記憶がある。

 

小学校高学年で担任の教師が変わった事で「暗い」とか「陰険」と言われて、それだけの事で這いあげれなくて今も挙動不審者で緘黙のままになってしまっています。

 

中学の時の修学旅行のビデオがお昼休み流れて、僕が挙動不審になってカメラの前を横切るシーンが流れて、場が静まりかえったような気がした。

あと、何かを喋るシーンがビデオであって、まったく声が聞こえてこなかった。

ビデオで見る自分の異常性を直視出来ずにいた。

今思うと、なぜ、異常性があったのに、周りは問題視しなかったのだろうか?

 

しかし、その時は、まだ、頑張っていこうと思って、無理やり人に話しかけたりしようとしていた。

クラスでは変な人間として注目を浴びるも、特定の友達を作る事は出来なかった。

 

挙動不審になってしまっていたが、担任の教師などは何故か悲観していなかった。

 

しかし、中学の後半でお金を取られたりしていたことで「友達なんて居ない方が良い」と思って、それで高校も這い上がれず、最初は話しかけて来たけど、話せないとか、子供と話してるみたいでムカつく、と言われたりして、怖くなったり、中学の時のいじめっこが高校にも押しかけてきて、また金を取られてはじめて戦意喪失した。

 

専門学校では最初は隣の席の人に話しかけられて、ゲームソフトを貸してもらったりしたけど、結局しばらくして、「暗すぎる」と言われて傷ついて疎遠になりました。

 

 

最初の時は、割と話しけられたりしたりしていたけど、傷つくような事を少し言われるとビビッて自分からも逃げるようになってしまう。

 

小学校の時の担任と、中学の時、僕から金を取り続けた人が、僕の弱さを更に決定的にしてしまった。

 

でも、ブログで累計100万PVを取った今、やっと自分が変わり始めたのを感じています。

でも、このブログは著作権とかが危惧されてしまいました。

 

今後もこのブログと「社交不安・緘黙のアウトプットブログ」共々応援のほどよろしくお願いします。

 

kanmokushou.hatenablog.com