不安を飼いならして、フリーダムを手に入れろ
●目次
不安なこと
母親が昨日、「おばあちゃんがいつ亡くなってしまっても、可笑しくない」と言っていた。僕は、ここ10年くらいは、おばあちゃんとは顔を合わせていない。
社交不安、緘黙、それらの概念は自分ですら当時知らなかったし、今ですら説明することは難しい、病気と思われたいわけではないが、そう言うことなら仕方ない、という概念があれば少しは、両者とも理解し合えるのではないだろうか?
不安な事と言うのは不謹慎ながら、お葬式に出なければいけなくなるかもしれない事、それと、おばあちゃんがこの世から消えると言う事、両方ある。
この世に存在する僕にとって、あの世が存在しているものかも分からない。もし、本当にご先祖様が僕の様子を伺っているとしたら、とても顔向けできないような日々を過ごしている。
分からない事をあれこれ考えるよりも、お葬式で、恥をかき、劣等感に苛まされ、地獄の瞬間を味わうのではないか?
そんなような事を恐れているのかもしれない。
せめて、はてなブログなどで、マナーの勉強をしたいものです。
少し参考になりそうなブログを発見しました。
ピエール瀧とかASKAに比べたら、大したプレッシャーじゃないさと自分を励ます、おっさん社交不安の僕がいる。
ブルーハーツの歌で、死んだらそれでさようなら、という歌詞もあったな、人間は恥の概念を発達させすぎで、自由を失っているのではないだろうか?
集団に認められるのと命の価値が同等レベルのような、そんな日本社会、貴方もそんな事を感じたことはありませんか?
江戸時代の武士などは下手したら名誉の為に切腹などしていたらしい、そんな価値観の世界に日本はいたと歴史では語られていますね。狂気すら感じませんか?
しかし、そのDNAを引き継いで日本社会の今はある。おそろしや。
母親に最期に会っておけばといわれた
今朝、今日会いに行けばと言われたが、コミュ障の僕は不安や色んな事で判断ができずに居ました。
リアルタイムで人と対話が出来ない事を実感、人が言ったことと、自分の都合、すべてまとめて答えを出してから発言するのは自分には時間がかかってしまう。
母親にも罪悪感を感じました、明日の朝、会いに行けたら行くと言う事になってますが、正直、不安です。
メンタリストDAIGOさんが、不安を感じるのはいい事だ、というような事を言っていた記憶があります。不安があるから、人は用意したり、対策を練るのです。というような話だった気がします。
不安に支配されて何も出来なかった、それが、今までの僕だった、結果的に出来上がったのが何も出来ない赤ちゃんのような、おっさんだった。
確かに、見下されてしまう存在かもしれない、しかし、不安をもし利用出来る自分へと成長したら、今までと違う領域に自分を成長させられるのかもしれません。
まとめ
やっぱり、日々、責任果たしてる人は偉いです。
ご先祖様に顔向けできません。
内田也哉子さんの謝辞も凄かった。
社交不安の人や、緘黙の人や、皆んな、時には脅威を感じるこの日本社会だけど、凹まずに楽に過ごせていけたらいいですよね。
ピエール瀧さんだって、恥ずかしかったと思う、けれど、恥ずかしい事は永久には続かない。せめて、今のこの瞬間まで不安に占領される必要はない。
不安を飼いならして、フリーダムを手に入れろ