緘黙の言霊

緘黙の言霊

メカ音痴でコミュ症や社交不安や緘黙症が疑われている筆者が世の中へアウトプットするためのブログ

涙が止まらない訳は、自分でもよく分からない、そんな事が起こる、それが人生なのかもしれない。

これは、おばあさんが亡くなる前に会いに行った時の日記です

 ●目次

  はじめに

 

先日、書いた記事をご覧になった方は知っていると思いますが、今日は、お婆さんに会いに行くかどうかの日でした。

 昨日の記事は少し編集しましたよ。

kannmoku.hatenablog.com

 今日はその事について書きます

 

何故か景色を久しぶりに観ただけで、ノスタルジックで切ない気分になった

いきなり、衝撃の事実をお伝えします。僕は、泣いてしまったのです。

おそらく10年以上、人が怖いとか、おばあさんと話せなかったり、「元気出せ」とか言われたり、色々、話せないことにより、どう思われてしまうか不安になり行けなくなった場所だ。簡単に言えば、現実逃避をしていたのです。

 

しかし、自分は、人と殆ど触れ合うことがなく過ごしてきた、久しぶりに訪れたその景色に、わずかでも、親族と、人と過ごしたという思い出を想うと切ない気分になると同時に、ここに存在する人がもうじき居なくなるのかもしれないと思うと、ノスタルジックな気分になってきた。

 例えば、長年ひきこもっていた人が、懐かしいゲームや、アニメのビデオをどうしても捨てられない、それと、同じような感覚かもしれない。

たとえ、今はそれが好きという訳ではなくても、何か、切ないのです。その理由は自分にもよくわからない。

せめて、最後に意識があると思われる段階で会うのが、せめてもの罪滅ぼしでここで勇気を出せなければ終わりだと思って家の中に入っていった。

 

何故かお婆さんの姿を見ただけで涙が止まらなくなった

自分は人への恐怖だけで、涙や、笑いや、そんなものを人前で出せる人間だと思っていなかった。

しかし、自分でも驚くことなのですが、姿を見ただけで、涙が止まらなくなってしまったのです。

そして、「今まで、会いに来れなくて、申し訳ありませんでした」と泣きながら言ったのです!!

それを見ていた母親が「●●の声、小さくて、聞こえない?来れなくてすいませんて言ってるよ。ほら、もっと大きな声で言って。」と言われた。

自分的には、普通の声で言った、つもりなのに、声が小さいんだな、て思った、これが噂の緘黙の症状なのかもしれないと思った。

でも、泣いているので言葉にならなかったけど、多分、聞こえなかったかもしれないけど僕は「お婆さんの言葉を忘れないで、頑張るから、許してください」というような言葉を言った、しかも、考えて出てきた訳ではなく、無意識に言葉が出てきたのです。

そして、おばあさんは、「ホンモノ」というような言葉を言ったように聞こえたし、僕には意識があるという気がした。

そして、まるで、「お前こそが、本当はホンモノの漢なのだよ」と言っているように思えた。ナルシストな考えかもしれませんが。

それか、「お前だけが、本当に、本音で言ってくれている」という意味に思えた。そのどちらかだと思った。だが、普通に考えると、僕が本物の漢、というのも妙に思えるので、冷静に考えると本音を言っているということかもしれない。

 

そのあと、話がないので、お辞儀をして部屋を出た。

母親がもっといれば、て言ったり、ヤクルト飲んでけ、て言ってたりした。

母親がお婆ちゃんに「●●小さい頃は可愛かったよね」とか言ったり、まるで今はダメみたいな感じで言ってるのが少し気になった。

 

今まで、僕の中で、きつい言葉を言われるから、会うことが嫌で、会うことから逃げ出して来た、お婆さん、心の奥底で、僕はずっと罪悪感を重ねていると同時に、「なんでわかってもらえないんだ」という言葉にならない気持ちを封じ込めてきたのかもしれない。

母親、その他、家族も含めて、僕のそんな感じ、本当の意味ではわかってくれていない気がする。お婆さんもそうだった、けれど、キツイ言葉を言っているのは、僕に何とかなってほしいという思いからだ、それも分かる・・・孝行したい人にすら孝行できる状態ではない、それが、悲劇、緘黙、社交不安。

世の中が早く、こういった人を受け入れて、皆で、受け入れて、心、穏やかに生きられる世界を、僕は、生意気にも、正義の使者のようにそんな世界が来ることを望んでいる。

 

まとめ

 

緘黙症、社交不安の方には僕のように、感情を封じ込めて、もう、感情すらわからなくて、ふとした瞬間に泣き出して、自分でも驚く状況がこれからくるかもしれません。

 

僕の場合は、基本的に弱いから、社交不安や緘黙症なんだと思う。ここ最近もブログをやったり、障碍者枠の仕事が自分の体を蝕んできていても、普通の人はこんなものではない、という思いや、見返してやりたいという思いからか、心の平安がなかったように思う。

 

休んでいるように見えるが、休めていないのではないか!皆さんも気を付けてください。