緘黙の言霊

緘黙の言霊

メカ音痴でコミュ症、それゆえにブログで頭を整理するブログ もう一つのブログhttps://kanmokushou.hatenablog.com/ 雑学音楽日記いろんなことを書きます

【福祉の支援員などへのアドバイス】会話が苦手な人の支援は常識を教え込むより、社会とのコミュニケーション復活を目指すべきなのではないか?

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会話が苦手な人の支援は広がっていないのではないか?

ASDなどの発達障害や知的障害については、どこからが発達障害や知的障害になるのかという事は誰にも分からないと言われています。

明確な線が引かれているわけではなく、連続体の中に位置しているということです。

診断が出るのは、本人や保護者が問題を感じていて、支援が必要となる場合と言われている。

支援を受けるためのパスポートとして診断がある。そのパスポートを使いながら自己実現を目指せば良いのだと、ある本を読んだらそんなような事が書かれていました。

 

今はあまり福祉の場にすらいけてないので最近はどうか分からないのですが、実際、社交不安、緘黙のような症状を抱えた僕は福祉の世界で就労支援を受けたりした実体験があります。

 

その中で誤解を招き、パスポートを上手く使いこなせずこじらせ続けてしまっていて相談も上手く出来ず挙動不審になり見下されたりしたこともあります。

 

そんな体験から、コミュニケーション不全への支援は福祉の世界で広がっていないではないかと個人的には思っています。

 

社会に目覚めて欲しいと思い、今回、そんな想いをブログにしてみようと思いました。

音声でコミュニケーションが苦手な人は自己決定力が付かないまま年を取ってしまう?

音声でのコミュニケーションが苦手な場合、口頭での説明が苦手な為に、断ると反抗しているようなイメージを抱かれてしまうことが多くなってしまうのではないかと思う。

 

なので指示に従って「はい」と、とりあえず言うことしか術がなく、迷惑を掛けない事を求められてしまい、自分で何かをする機会事態があまりなく育っていく事が多いように思います。そうなってくると自己決定力が低下してしまうのではないだろうか?

 

自分で決めることが苦手なのは、怠けとは違い、意思表示が苦手なので、人の意見に黙って従うことでしか、生きてくる術が無かったせいであって、本人としても様々な葛藤を抱いて過ごしていると思う。

 

口頭によるコミュニケーションが苦手な本人は満たされることもなく不全感を抱えたまま歳をとっていき、様々なハンディキャップを背負ったまま、老いてしまうのです。

 

会話が出来ない劣等感が社会に対する攻撃心に変わる

会話が苦手でも、頭が良かったり、運動が出来たり、なんらかのきっかでプラスに転じる人も中にはいるだろう。

しかし、人間とは複合的なものです。

会話が苦手だからって、勉強も出来ない、運動も出来ない、おまけにIQも低いというケースだってあるんです。

しかし、なぜ、そのような人が問題視されないかというと、表に出さないからです。

会話自体に恐怖が伴ってしまっているのです。

 そうなってくると、よく分からない人、というレッテルを張られたり、存在を忘れられたり、何かあると、あの人、喋らないから怪しいとか思われたり・・・

 

そんな状態では社会を恨んでしまっても仕方が無いと思う。

世の中はそんな人を増やしてはいけないと僕は思っています。

会話が苦手な人でもコミュニケーションを楽しめるようにするべきではないか?

それで、僕が思う福祉のあり方、福祉などの世界では、そういった人に対して、コミュニケーションは楽しいという感覚を作りだすべきではないかと思う。

 

自分は、福祉の世界でも会話が苦手でオドオドしていて劣等感に苛まされていました。

それは常識が出来ない、変だ、劣っている、と思いたくなかったり、話せない自分にイライラするという自分に対する不全感だったのかもしれない。

 

正直、周りを敵とすら思ってしまうこともあったし、分かってくれる訳がないと思っていたし、その前に脅えていて、まともに話すことすら出来なかった。

 

福祉の人には、そんな状態を察する事が出来る繊細さと同時に、喋らなくても、その人を支援する、という態度が必要だと思う。

 

例えば、挨拶は出来て当たり前だ、とか、遅刻はいけないとか、そんな社会で当たり前の事を福祉の世界で強要することよりも、その人が自分を認めて、世界の人々を仲間だと思えて、会話だけのコミュニケーションによるものではなく、人との関りって楽しいんだな、とか思えるようにすること、の方が僕は重要なんじゃないかと思っています。

 

まとめ

正直、今日も漫画喫茶などで、緊張して、店員に見下されたような態度をとられたと思ってしまいました。

そう劣等感に侵されて、世間を逆恨みしているのは、まぎれもなく、僕なのかもしれない、というより、むしろ僕だけなのかもしれない。

しかし、緘黙、という言葉もスタンダードになってきて、会話が苦手な人がいることが明らかとなっています。

緘黙と思われないけど、あの人、話さないよね、とか言われてるだけの人も、福祉の世界でも、一般社会でもいて、それらの人々は大抵、なんらかの不全感を持っているんじゃないだろうか。

こんな僕が偉そうな事を言ってしまっていると自分でも分かっている、でも、これはブログだから、自分の意見を言えるのです。