「ひきこもり」は障害者年金を貰うべきなのか?について年金を貰っている人と身近で働いていた経験者が語る!【知られざる福祉の真実】
最近Twitterを見ていたら「ひきこもりの人達全員を障害年金貰えるようにしたい」とおっしゃっている方のツイートを見たりした。
「親がいるうちは障害年金で親亡き後は障害加算の生活保護が、中年ひきこもりについては一番良い生活」というような事を、おっしゃてる方もいた。
ツイッターは色んな人の作戦を見れて勉強になると思う。
障害 年金については、
僕は障害年金を貰っている人達と一緒に「就労支援」や「ソフトバレー」や「作業」をして過ごした経験を持っています。
なので身近でどんな人が貰っているか肌で感じ取っていた経験があります。
しかし、自分がコミュ障のせいもあって、それ程、親密にはなれなかったので、実際のその人の苦労などは理解できていない部分も多いかもしれないですけど。
なので、「ひきこもり」は障害年金を貰うべきかについて持論をブログにしようと思う
これは残念ながら年金をどうすれば取得できるかについての記事ではありませんし拙い内容かもしれませんが。少しでも世の中に変化を与えられたらと思い頑張って記事にしています。
【もくじ】
- 最初に結論から述べます
- 障害年金が貰える程度とは
- 「ひきこもり」の人の方が年金の程度に当てはまっているのではないか!
- 発達障害など気が付かれないような障害に実は苦しんでいる?時代で変化する障害
- まとめ
最初に結論から述べます
最初に結論がブログの法則と聞いたことがあるので持論の結論から述べようと思います。
まず「ひきこもり」は様々な背景・原因によって生じています。
障害年金をもらうべきかは、多分、人によってだと僕は思います。
実際、年金を貰っている人を身近で見てきて、本当に具合悪い人もいたが元気そうに見える人も多かったと思う。
それで思ったのは「ひきこもり」で例え薬を飲んで居なくても「障害年金を受けられる程度」ならば、病気ではなくても、貰えるべきなのではないか?ということです。
僕も、社交不安や緘黙や発達障害が絡んでいるケースでは、行動範囲や出来る事が制限されているし、社会経験も積めない状態になっていたし、いじめを体験したりしている、福祉の世界ですら見下された事もありましたし、孤立していました。
この現状を考えるならば、年金を貰っている人に見下されているのだから、超1級が支給されてもいいのかもしれませんね・・・・
まあそう言われるのも嫌ですけどね。
障害年金が貰える程度とは
自分が持っている
という本に1級と2級の程度が書かれていました。
1級とは
定義:身体の機能の障害または長期にわたる安静を必要とする症状が、日常生活の用事を足せなくさせる程度のもの
どんな生活ぶりかというと
病院内の生活でいえば、活動の範囲がおおむねベッド周辺に限られ、家庭内の生活でいえば、活動の範囲がおおむね寝室内に限られるものになります。
2級とは
定義:身体の機能の障害または長期にわたる安静を必要とする症状が、日常生活が著しい制限を受けるか、または日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの
生活ぶりは、日常生活を送ることは極めて困難で、労働による収入を得ることが出来ない程度のものをいいます。
「ひきこもり」の人の方が年金の程度に当てはまっているのではないか!
自分が働いていた就労支援では、普通に旅行に行っていたりしている人が2級の年金を貰っていたりした。
なので、この程度が当てにならないと僕は知っている。
意図的に詐称しているという訳では無いのかもしれないけど、長期的に医者と話している内にそうなっていったのかもしれない。
なんとなく、薬を飲んでいるとか具合悪くなる、というのが障害なのかな?と感じるけど、普通に元気に人と話して、好きな事をしていた印象でした。
一般就労してからも特に具合が悪くなったという噂も聞かないし、フルタイムで働いている人も居る。
自分では皆「私は本当は普通だ」みたいな感じで僕みたいな人間を見下していた。
そこから考えると、むしろ、ひきこもりの方で外出に制限がある人、の方が障害程度にマッチしているとすら思えてしまいます。
発達障害など気が付かれないような障害に実は苦しんでいる?時代で変化する障害
自分でも自分の事が良く分からないけれど、僕は、知的障害のボーダーだったり発達障害なのかもしれないと最近思い始めています。
それが原因で、社交不安、緘黙、などに陥りどうにもならなくなってしまったのではないだろうかと。
そういった場合、薬とか効かないと思うし、医者とも上手く話せないし、福祉のスタッフにも誤解される。
多くの「ひきこもり」と言われる方が、僕のような生きずらさを抱えているかもしれないと思うと、そういう人は貰えてもいいのではないかと思うのです。
僕が知能のテストぽいものを受けた時、時代が早すぎて発達障害の診断名が降りなかった可能性もあります。
もう一度テストを受けてみますか?養育手帳取れるかもしれませんよ、と言われた記憶があるけれど、その時には障害手帳を手に入れるメリットが分からなくて、相談してる人にメリットを尋ねたら「バスが安くなるとかですかね」
と答えられたので、「バスに乗らないからいらないです」と言ってしまったのです。
要するに、時代によって、障害が変わるのです。なので、昔は怠け者と思われて責められていた人も障害の部類に入る可能性はあるのかもしれません。
まとめ
医者やスタッフに一人一人の生きずらさが見抜けるとは僕には思えないのです。
ある程度、情とかが絡んでくる可能性があって、そういった面で一番不利なのは、コミュ障で何考えてるか分からなくて、頑張っているようにも見えない人だと思う。
人からフォローされなければ、険しい人生の道のりを歩まなければいけない。
本当の弱者は人に好かれずらい人なのではないか、と思ってしまう。
なんの為の福祉なのか、社会保障なのか、今、もっと社会が考えるべき時に来ているのかもしれない。