【フリーランスに憧れてる?】境界知能で緘黙で社交不安な僕がブログをする理由。そして緘黙は誤解されている事を世に広めようと思っている
僕のこのブログを継続して見てくれている読者がいるとするならば、最近、以前にも増して雑だな、とか、以前にも増して、内容が見るに堪えないと思っている人がいると思う。
実はもう一つのブログを頑張っていき、こっちは日記や、思考を整理する方に路線変更しようと思ってます。
ブログをやる理由も、頭を整理して、今よりマシになりたいという向上心の表れだと感じてる。
僕は、怠け者ではなく、頑張っても出来ない人間だと思う。
でも、見返したいという思いもある。
しかし、youtubeもする勇気もない、人と話す勇気もない、そんな不自由な僕が唯一出来る事が、不自由な表現手段のブログなのです。
ブログは趣味として頑張っています、フリーランスに憧れるけど今はまだ無理です
ブログは趣味として頑張っています。
たまにフリーランスとして生計を立てている人に憧れは抱きますが、今の自分にはまだ無理だとは思います。
何故、フリーランスに憧れるかというと、人と接する事に自信が持てなくて常に不安が付きまとってしまって、人に会う前に予期不安といわれるものもある気がしますし、その他、色々、自分には無理なんじゃないかと思って不安です
なので、別に自惚れている訳では無く、人と関わらなくて精神的負担を少なくしたいけど、頭が追いつかないので、フリーランスにもなる自信がありませんし、なりかたも分かりません。
今日も頑張ってドラマを観た事をブログにしました。
自分の場合、一発で記事を書くよりリライトを繰り返し、まともな記事にする手法を取りたいと思い始めている。
趣味でやってはいるとしても、自分なりには上手くなっていきたいという思いもあります。
向上心があるからブログをやっているんだと思うし。
以前と言っている事が違う?
言う事がコロコロ変わっているけど、それは、ブログを制作するためには仕方ない事なのです。
特に自分のように、ノウハウが分からない人はネタを考えるだけでも大変、一貫性を持たせるとしたら相当時間が掛かってしまいます。
以前、ブログは検索意図を満たすことだ、という記事も書いた。
いかにも、ノウハウを知り尽くしている有能なブロガーなように。
見方を変えれば100万PVを超えたということを唯一の材料として奮闘し頑張っているともいえるだろう。
しかし、一部分を知っていたりするけど、把握していない事もある、それが人間だと思う。
その一部知り得た事を、読者の人に伝えたい、そう思ったんだと思う。
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緘黙は社会が問題として扱っていない?
大人になっても、新年の挨拶がハードルが高い人、というのは存在してると思う。
それは僕だ!
正直、意識すればするほど、声を出すことや、堂々としていることが、出来なくなってしまう気がする。
コミュ症は新年の挨拶が出来ないと言っている人もいる事実から、言いたくても言えない、という人は存在するのです!
ショップでADAのクリプトコリネ・ウェンティグリーンを注文してきました 挨拶は出来たけど返事が上手くできなくて挙動不審になってしまった 真のコミュ障は新年の挨拶が出来ない
— 魚住 (@uozmi) January 5, 2021
緘黙の特徴は本人が困っていたとしても社会的には問題なしと思われるところにあるのではないか?
明らかに困っている人は存在しているけど、問題行動をあからさまに起こして目立つ訳でもない。
下手したら、「あいつなんで喋んないんだよ」と変人扱いされているにも関わらず、問題として扱われない。
もうじき仕事が始まるけど僕はどうすればいいんだろうか
まとめ
正直、いえば、こちらのブログをやる意味が変わってきてる。
こちら側が「日記」や「思考をまとめる」為に使用していく路線になっていっています。
その理由は敢えて語る必要もないと思います。
なぜ、思考をまとめる必要があるかというと、普通に生きてても僕はまとめられないからです。
僕がブログで成功すれば、ブログタイトルから緘黙というワードも広まるだろう。
そして、世の中が緘黙を重要なキーワードとして取り上げる。
緘黙で苦しむ人も沢山支援を受けられるという事です。
そんな正義感が強い僕が、今日はドラマを観て感動した、その熱い情熱を頑張って形にしたくて、今日もブログにしました。
他の人も時間があれば観て、僕と同じように感動したら良いなと思う。
暇な人はいないかもしれないが、感動するドラマだった。
タイトルの意味とかドラマも深いんだと感心した。
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