【一般就労、福祉、障害、ネット全ての世界にあるカースト制度】道徳という名の国家洗脳?あらゆる世界にあるカースト制度!
こちらのブログは思った事を書いていこうと思っています。
本当に、結局は、ネット、現実、障碍者の世界、一般就労、ハローワークなどなど、僕のような人間はどうしても、見下されてしまうのではないかと思ってしまう。
僕がブログを書いている理由はそれしか手法が今ないからなのではないかと思った。
今回の記事でカースト制度は福祉の世界にも蔓延していて、無慈悲なランク付けで僕を最下層として、ニヤついて、上から目線の人を暴露しているような内容になっています!
今日その他に二つブログを更新しました。
そして、この記事では無慈悲な健常レベルの人の思い込みにより僕のような人が哀れな感じになってしまっていることを、そんなリアルを証言します!
人と同じ努力では人並みに出来ない人がいるのに、努力が足りないと信じるのは洗脳されているせいではないだろうか?
道徳というものの一部分に、人を洗脳して国に都合の良い人間を作るための洗脳があるのでは?
最近、そんな事を感じ始めました。
努力は美しいとか、努力が足りないとか、そんな事を誰が分かるというのでしょうか?
最近知った言葉に、動作性IQ、言語性IQというものがあります。
動作性IQが低かったり、色んな原因から、人並みの努力では人と同等の作業量をこなせなかったり、ストレスを感じやすかったり、疲れを感じやすかったり、会話がスムーズに出来ない人がいるのがこの社会だと思うのです。
昨夜も僕は障害枠のおそらく普通の人からしたら大したことない仕事で、凄く疲れました。
それに、周りの動作との格差は感じるし、怠けてると誤解されているかもしれないとすら思うことがある。
実際は本当に怠けてはいないのです。
怠け者がブログを日々更新するでしょうか?
僕がブログを更新してしまう理由は、
話せない、無力感、不安感、そんな色んなものを解消する手立てがなくて、いつも、不安で、何も出来ず、やれることがブログとしてのアウトプットだけだからなのです。
僕だって、出来るならyoutuberのように輝かしい世界にいってみたい。
しかし、おそらく、まともに喋れないのに、やっても評価を得る事は難しいし、やり方もよく分からない。その能力があるかも疑わしいです。
やろうとしても出来ない人間がいるにも関わらず、努力が足りないからだ、とか、役に立たない奴は必要ないという概念はなんで生まれてしまうのでしょうか?
自ら、「社会から必要とされてない、生きてる意味がない」
とかいう感じのツイートのようなものを見たことがある気がする。
なんで社会から必要とされなきゃいけないんだよ、て感じがする。
僕が世間知らずで子供っぽいからかもしれないけど、結局、国の為とか社会の為とか個人にあまり関係なくないか?て思うし、オリンピックで争いたい気分も分からない。
そんなに優越感を味わいたいて事ですかね。
ネット社会にもあるカースト制度
SNSを見ても、カースト制度のようなものを感じるし、フォロワーという数字でも人々は比較しあっているように思える
メガインフルエンサーを頂点としたネットでのカースト制度もある
インフルエンサーの中にもまたカーストのような階級があることを今日知った!
↓
最近、炎上していた詳細についてブログにしました。
ブログでも
ワードプレス移行する人、PVの数、収益などで競い合っているように見える。
僕は競争が嫌いです。
自分に自信があれば競争しても楽しいかもしれませんけどね。
このカースト制度にがんじがらめになっている世界、人間は未だ、身分制度や人の評価の呪縛から解き放たれていないのだろうと思う。
福祉、障碍者の世界のカースト制度
福祉の世界でもカースト制度はあった。
僕は、これといった取り柄がなかったのかもしれない。
結局、人の期待に応えられて集団に調和したものが人間の和に入って、成功しているように思えた。
差別しているという自覚なしに、喋らない人などは見下されてしまうこともある。
僕はイジラレキャラとしてなら、福祉の世界でも仲間の一員として集団活動が出来ていたかもしれない。
しかし、僕には耐えられないものがあった、人間としてのプライドなのか、そのプライドが行き着いた先がブログ活動なのかもしれない。
病気の人も病気の重さとかよりも、人に溶け込んで居たり、好かれやすいキャラは溶け込んだり上手くいくイメージ。
スタッフの人は上から見ているから、実際の利用者の関係性を把握しきれていない印象もあったりする。
学校の教師も同じで大人目線から見ていて、どこか、学生当事者と視点がずれていく。
福祉の現場にいたあるボランティアの人は買い物の順番があり、それで買い物に行って遅いので「何処かで怠けてるんじゃないか」と怒っていたりした
しかし、普通の自分、買い物慣れしている自分の状態を障害者のすべてが維持している訳では無い。
買い物を頑張っても遅い人はいるのです。
それを理解せず責めて、結局、福祉の世界でも、思いやりのある、仕事が出来る、スタッフのご機嫌をとれる、ボランティアの心をつかむ、そんな一般的な強者と同じ人間が勝ち上がっていく。
それが出来ないものは冷たい視線や惨めな思いをする。
年下の人に「おまえ」とか言われたり、見下されながら。
それでも、孤立が嫌なら、隅の方で人の和にいるために、存在しているしかない。
今の僕には居場所は無いのかもしれない。
また、障碍者の人にも怖い人がいたり、自信満々で高圧的な人がいた。
ひきこもりを見下したり、自分の事を棚に上げて、「あの人、変なんだけど」とか言っている人もいた。
あらゆる世界のカースト制度の呪縛で、僕を最も下に当てはめて、上から目線の人達に僕は見返してやりたいと思うような気持ちを抱えつつも、何も出来ず、日々過ごしている・・・・・