緘黙症の克服方法 に迫ろうと思ったら脳がカオスになって無理だった日記
【もくじ】
緘黙症の入り口は発達障害だったのかもしれない?福祉でも認知されていない緘黙症の謎
今日は重い内容になってしまうかもしれないと思った。
緘黙症の治療には、緘黙症の事を深く理解している人が対応するべきだ!
とインターネット上の何かを見ていたら載っていました。
しかし、自分は精神関係の障がい者が通う作業所や就労支援に通っていた時があったが、その現場ですら、緘黙症に対する理解や知識をスタッフ全員が持っていたかというと、そんな事はありませんでした。
一人のスタッフに聞いたときは知らなかった、他にも、会食恐怖て知っていますか?と聞いたら「知らない」と言われた時があった。
そんなもんなんだ、て思った。
インターネットやtwiiter上では当たり前のように、緘黙症という言葉が溢れていて、自分も調べるので、つい相手も知っていると思ってしまっていたけれど、現実は違うようです。
緘黙症の事を福祉に携わる人ですら知らないて事は、
支援を容易には得られないんだなて思う。
自分ごとになってしまうけど、自分の症状に対するある仮説が浮かんできた。
それは、コミュニケーションが苦手なタイプのなんらかの発達障害を最初に持っていて、それによって、周りと、どう接していいか分からない混乱と、遺伝的に持っている不安症気質、などが重なって、緘黙という症状に繋がったのでは無いかと?
今日は少しでも緘黙克服の謎、を調べようと、緘黙を抱えている方の動画などを聞いたりして謎に迫ろうと思った。
しかし、途中で読みたい漫画雑誌などや見たい番組があり、思うように謎に迫っていけず、今もまだ、緘黙の克服方法については謎に包まれたままです。
しかし、次回に繋がるようなクエッションを生み出して、次の記事に繋がるような生産的な記事にしようと思っています。
緘黙症の原因
場面緘黙の人が元々持っている気質は不安気質が多いと言われている。
少し疑問なのは、 遺伝子的なものだとしたら、昔から、場面緘黙の人は居たという事なのだろう。
それなのに、今まで問題化されず、福祉の世界で働く人にすらあまり認知されていない現状は一体どうゆうことなのだろうか?
昔、生きていた緘黙症の方はどうやって働いたり普通に暮らしていたのか、それが疑問です。
昔からあった症状なのに何故、緘黙の歴史的な物は皆無なのか!?
緘黙の人が困るシチュエーションを考えてみた
なかなか自分の状況を客観視出来ないけど、どんな場面で困るか書き出す事で頭が整理されると思った。
喋れる関係の人と喋れない関係の人が同じ現場に居るとき
例えば、家族と話せる場面緘黙症の人は多いと言われています。家族と一緒の時に、喋れない関係の人達と遭遇した時に、困ってしまうと言われています。
なるほどと思いました。
僕は、子供の時は家で喋れてたけど、ある時、外で「大人しい」てある人に言われて親が「家では五月蠅い」て言ったのが気になった事があった。
そのせいか、家でもあまり喋れなくなっていた。
父親の咀嚼音など色んなものが生理的に受け付けられなかったせいもあるけど、家でもあまり喋れないタイプの緘黙となってしまった気がする。
この教訓から、恥ずかしがらずに家でくらい喋ってた方が良いと思う。
今の自分は、人間関係の幅がそれ程ないので、正直いうと、全部同じ感じです。
全体的に話せないて事ですね、これってヤバイかも。
人に声をかける時や突発的発声
何かを聞きたいときなどの第一声が難しいと思う。
色々頭を使わないといけないとも思う、まず、なんて聞けば良いのか、という事や、声を出す事自体にエネルギーが必要なので、なかなか一歩が踏み込めない
絶対に言わなければイケナイということより、言わなくても良いかもしれないけど言ったほうが良いこと、のような自分の判断が必要な時も難しい気がする。
例えば、年末の挨拶、「今年もありがとうございました」なども、仕事をしている人に対しては言うタイミングも含めて複雑に感じるし、言いづらい時もあるし難しいと思う。
大勢の人がいるところで、急に声を発するのも勇気がいると思う。
世間話に加われない
三人以上の会話に入る方法が分からない
声を発するのに勇気がいるのに、長文で会話に参加できる自信も無いし、どうしていいか分からないのです。
そうなってくると、カヤの外の人のような状態になってしまう可能性もあるので辛くなってしまう。
しかし、解決策が分からない
まとめ
正直、謎は謎のままになってしまった。
しかし、謎に対する疑問がいずれ解決策を生み出す可能性もあると思う。
そもそも、緘黙克服法自体が今もまだ発見されて居ないのかもしれない。
緘黙の人の動画や音声を聴いたら、大分良くなっている人が多いと感じた。
こんなに話せる人が本当に緘黙だったのか?て思った。
治る人と治らない人の差て、なんなんだろうて思った。