【もくじ】
コミュニケーション不全は見過ごされて、社会的弱者となりがち?
昨日、図書館から借りてきた、絶対弱者という本の序盤部分を読んだ。
図書館から絶対弱者て本を借りてきたので読んでたけど、新しい本かと思って借りたけど、少し昔の本だった
— キリン@社交不安 (@kimuzonw) 2020年1月17日
気になったのは弱者は国から保護が受けられるて書いてあったけど保護されてない弱者もいるし、保護されてる強者も居るんじゃないだろうか?て最近、そんな気がしてしまう、たしかでは無いけど
この本には、コミュニケーション不全な状態は、先生、親からも見過ごされてしまってフォローされずらい、というような内容も序盤に書かれていた。
3年B組の金八先生もコミュニケーション不全の人にあまり親身になっていなかった、などの例も出ていた。
それについては頷けると思える部分もあった。
実際、自分がそういう面もあったと思うのです、小学校高学年から緘黙ぽい症状や社交不安でコミュニケーション不全に陥っていたが、それがフォローされたかというとそんな事は無かったように思います。
仮に自分の今の推測、人付き合いが苦手な発達障害+不安を抱きやすい素質が重なって、緘黙症状になってしまったという仮説も、それが周りに気が付かれなければ、障害とも思われることもなく、社会的弱者としての保護スタートにもならないと思うのです。
僕は、今、障碍者枠として働いてるから、周りから発見されて、周りの支援を受けて社会的弱者として保護されてるんじゃないの?と思われるかもしれないが、実は僕は発見された訳ではなかったのです。
今でも、親は普通だと思っていたり、都合よく考えていたり、スタッフの人も、単なる人見知りと思っていたように思います。
今までその経緯について述べた事が無かったので、これを機にそのことについても述べてみたいと思った。
また、社会的弱者は保護されるといっても、その保護だけで幸せに生きられるとも思えないですけど。やっぱり皆、努力されているのは想像しています。
僕が障害手帳を取得した経緯
実は、僕は自分の意志で障害手帳を取得した訳ではなかったのです。
そもそも、僕にはあまり自発的な行動力がなかった。今から、革命的に変えていこうと思っていますけどね。
作業所へ行くことになる経緯
まず、話はかなり遡りますが、僕は、人や社会に対して恐怖を抱いているせいか、ひきもりガチな時があり、インターネットを見ていて、このままでは不味い、と思い病院に行ったら、話すのが苦手ならある場所を紹介します、と言われて、そこに相談に行くことになった。
そこの相談員さんと話すのも緊張して思うように話せず、1時間2時間と話は殆ど進まなかった。
話してスッキリした~と言う人もいるが、僕は逆に、疲れてしまうために、話が終わるとドンよりしてしまう始末でした。
最初に紹介されたのは、ひきこもり、の方が通うスペースだった。
そこには正直、世間で言われるような、親がお金持ちのご子息とかも居たのかもしれないと今となっては思った。
そこでも、喋れない事で気まずい為に、定期的に通うのはキツイ、と言っていたら、ハローワークで何やら、ちょっとした検査をして、その時に「同じような仲間を作る為に作業所へ行く方がいい」という提案が出た。
その当時の相談者は結果を見ながら色々、不服そうだったが、行く場所ないなら作業所へ行くみたいな方向になったのです。
作業所へ行くのも、満員だったり、見学をしたりで大変でした。
作業所のスタッフにある事業の仕事をする為に障碍者手帳の取得薦められる
作業所に行くことになるものの、そこですら、コミュニケーション不全のまま人の目を気にして生きている状態だった。
他の人はお喋りして作業できる仕事でも自分はずっと無言で同じ作業をして時間まで耐えなければいけないので、それなりに辛かった。
しばらくてして何やら、〇〇事業を始めるみたいな感じにスタッフ上層部?の計画がはじまった、その仕事をするメンバーを探していて、どうだと薦められることになる。
僕は、やりたいとは言っていなかったし、一回は断ったけど、やる人が居なくて定員が少ないというような理由からか、丸め込まれるように、ほぼ無理やりその事業に入っていくことになった。
その時に、障碍者手帳がないと、ハローワークから何かが下りない、的なよくわからない話をされて、その詳細はよく分からないが、僕にこれを機に手帳を取得しろ、とあるスタッフが言ってきたのです。
自分の意志や行動力が希薄な僕は人から指示されないと動けないところもあり、指示してもらったことは良かったのかもしれない。お世話になりました。
僕は、病院通いはしていなかったけど、お医者様に診断してもらって、手帳を取ることになって取得できたのです。
まあ、普通の人からしたら嬉しくないよな。
しかし、これで弱者に入れるかというと、年金が貰える訳でもないんで、保護されてるとか実感はあまり湧かなかった。
せいぜいバスが安くなったり、地域によって施設の割引などがある程度なのです。
結局、その事業は、時給がそんなに高くないのに、肉体的にシンドク、野外での作業で危険でもあったので、耐えきれなくなって辞めました。
今、振り返ってもあれは辞めて良かったと思ってます笑
自分よりリア充が年金貰ったり、楽しそうにしてるのが妬ましい
その当時、自分の周りには薬を飲んでいるけれど、人と楽しそうに話している人がいた。自分は年金を貰っていなくて、親も貧乏だけど、親が妙に僕を過保護にする傾向にあったのです。
毎日、交通費だけで赤字になるような状態で、その当時、貧乏な親が金をくれたりすることで生きていたのです。
親は、冬場少しでも戸が開いている、閉めろ!というほどのケチなのです。
要するに、せっかく、温かくなった
空気を逃したくないほどケチなのです。
それに付け加えると落ち着きがなく、外に出たり入ったりを繰り返したり、チェックの症状のようなものもあるので、父親も発達障害なのかもしれない。
親は子供を大切に思っていても適切な道を示してくれる親ばかりでは無いと、僕も思う。
これについては、突っ込まれると思えるので、書きませんでした。
僕の心は収入の少なさのせいかケチとなり、通勤途中にある、ドラックストアに寄っては、無料の香水を付けたり、ヘアワックスを付けて、これで、少し儲かったと喜ぶような奇行をしていた。
香水を付けるキャラでは無いのに匂っていたのだ、ある人に突っ込まれた事もある、今振り返るとヤバい人だったと思ってしまう。
それはさておき、何が引っかかっていたかというと、その当時の僕は、年金を貰っている人にも僕は見下される状態でもあった訳です。
これは完全に弱者なのに、弱者としてのメリットは与えられていないと、毎日、楽しそうにお喋りしてる障害を持っていると言われるメンバー達すら羨ましく見えていたのです
まとめ
こんな、情けない過去の話をブログにするのは少し躊躇われる。
そう、ネット内でも、魂の叫びを放出すると、見下される可能性があるからだ。
絶対弱者にも書いてあった、人を見下す事で自分は凄いんだと仮想の優越感を得て安心感を得たいタイプの人種がいるという。
なので、僕は自分の事をあまり書くことが出来ないのです。
だが、本当に勇気があって、社会で成功してたら、僕のブログわざわざ、見下さないよね、て思うんだよな。それやる人は自分の評価も下げる事になると思ったほうがいいと思う。仮想優越感得たい人なんだなて思われると思う。
かつて、障碍者の就労支援で働いていた、同僚では、資格を取ったり、結婚したり、年金も貰って普通の人より収入多いかもて言ってる人すらいます。
色んな場所に旅行に行ったりして楽しんでいる人もいます。
僕が言いたいのは、コミュニケーション不全で見過ごさせる弱者で、人生楽しめない状態でも弱者としてフォローはされてない人もいる。
世の中て不平等なんじゃないだろうか?というメッセージです。
弱者が必ずしも保護されている訳でもないと思うんです。