緘黙の言霊

緘黙の言霊

メカ音痴でコミュ症や社交不安や緘黙症が疑われている筆者が世の中へアウトプットするためのブログ

体罰教師が僕の人生を奈落の底に落としたのか?天真爛漫な少年から狂人への階段を降りてしまったかのような小学校時代を振り返る

 

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このブログを自分が書いている事はまるで、運命のように思うことが最近はある、マイヒストリーというカテゴリーを産み出したことも、今、過去の自分を振り返れという、神が僕にヒントを与えているのかもしれない。

blogをなんとか生み出す為に低能だった僕は、色んな人のツイート、ブログを見て、少なからず勉強しなければと思うようにもなった。
それどころか、書籍を読んだり、YOUTUBERの動画を観て、それをブログへと昇華させたこともある。

ごく最近(今年の5月)に月間30万PVを超える底辺ブロガーという奇跡も起こしている。

この事実はどんなにダメな人でも、切っ掛けがあれば、変わるし、思いもよらない奇跡が起こる事もあるという事を現わしている現象に思えた。
その事実は、IQ70と言われている男が到達できる所業とは思えない事実だったのではないかと思う。

 

今回の記事は村上春樹と僕の類似性から、体罰教師がもたらした影響により、ダーク方面の人生になってしまったのか、自分探しの旅をしているような、興味深い内容な記事で、体罰教師がもたらす負の影響に警告を発動したような部分もあります。

 

 

村上春樹と僕は似ているのかもしれない

IQといえば1Q84という小説を書いた村上春樹さんがいるけど、村上春樹さんも自分探しの旅をするように小説を書いているというようなイメージがある。

 

僕と村上春樹はひょっとしたら、自分探しの旅をしているのかもしれないと思った。

自分のような人間が奇跡を体現した事で、これからも、奇跡が起こるかもしれないと生きれるようになった気がするし、他の人にも希望を与えたかもしれない。

底辺という言葉は卑屈で暗黒だけど、底辺やイジメっ子のサクセスストーリーは、人を感動へと導くものだと思った。

そんな奇跡を起こす可能性を秘めている僕ですが、その挫折は小学校高学年と早かった。その早すぎる挫折の話を公開しようと思います。

 

 

体罰教師は心の体罰もして多くの少年の精神を狂わせてたいたように思う

記憶は曖昧ではあるけど、小学校高学年で担任の教師が変わり、僕のキャラクターは激変してしまったように思う。

 

かつて書いたブログ記事にもその詳細は記載されていた。

 

kannmoku.hatenablog.com

いきなり自分の話で申し訳ないのですが、小学校の高学年になると担任の先生が変わり、その時に、先生に暗いと言われ、そこから、それまでの自己イメージが変わった気がする。
 今思うと、元々暗いから先生が暗いと言ったのかもしれない、しかし、それまでは、もっと世界が光り輝いているような感じもしたのに、それを境に自己イメージが変わり、人々から、また、暗い、と言われる事を恐れて、人が自分をどうせい、暗い、と思っていると先入観が産まれて自信がなくなり、人と会話することが難しくなり、人に話しかけることや、話すことが不自然に無理をした行為に感じるようになった気がして、人の視線が気になりだした。
 社交不安と同時に緘黙症状なのか、声が聞こえない、と言われるようになり、意思疎通が困難になったり、歩き方も挙動不審になってしまった。それが、その後も悪い影響を成長過程に与えたように思う。

 

今、振り返ると、その小学校の担任教師が僕にある強烈な負の自己イメージを刻印してしまったかのように思える。

 

自分でも客観視出来ない事が多すぎて、僕が今、このような、緘黙、社交不安に陥っているのは、最初から発達障害があったせいか、心に傷を負って自分は変わってしまったのか自分でもよく分からない。

 

年齢は言えないけど、いい年しても、そのかつてのトラウマを克服出来ていないように思う。

その原因は自分に元々障害があるせいなのか、精神的トラウマのせいなのか、自分ですらよく分からない。

 

 

体罰教師の体罰の内容

 体罰教師のよくする必殺技は、忘れ物などをしたら、ほっぺたを指でつねって上に持ちあげるという技が多かったと思う。

木琴を叩くやつで、頭を叩いたり、裏拳をすることも、マレにありました。

言葉の体罰として、僕のことを「暗い」とか、「ああゆう人を陰険というんだよ」みたいな言葉だった。

 

先生がそう言うことで、所詮、子供の集団のクラスは見事に洗脳され、そのキャラが浸透していき、僕は「暗い」という固定概念が出来上がり、自分もそう思うようになってしまった。

 

僕は、不貞腐れ、ああ暗くなってやるよ、とひねくれてしまった。

 

何故かその後、廊下の隅を歩いたり、歩き方が可笑しいと指摘されてしまったり、喋っても「聞こえない」と言われてしまうことが増えてしまった。

 

 それ以前の自分とは何処かが違う気がするけど、自分でも、どこが変わってしまったのか分からなかった。それがずっと続いてしまい、中学も高校も帰宅部だったりしたのは、そのせいもあるかもしれない。

 

顔の形や容姿すらも変わってしまった気がする。

堂々とした表情は消え失せてしまい、孤独と利用する人だけに利用されるような日々が続いてしまった。

 

それ以来かそれ以前からも、そうだったのか分からないけど、未来とか考える事はなくて、自分が中年になるとか、老人になるとか、まさか、そんな未来が来るとは思っていなかった。

 

まとめ

少し、ダーク過ぎる内容になってしまったと思う。

しかし、体罰教師が一人の人間のその後の人生を狂わせるかもしれないと思った。

 

自分がなぜ、今の自分のようになってしまったか、現在でも分からない。

まるで少年のまま、歳だけを経てしまった自分が今ここにいてブログを書いている気分です。

 

村上春樹と自分を同一視してしまうことも、少年が大人になったような心境が起こしているのかもしれない。

 

 

 

作業所、就労支援に通っている時のマイヒストリーは既に2記事あります↓

 

kannmoku.hatenablog.com

 

 

kannmoku.hatenablog.com